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  • 許 光俊
    許 光俊

     時々、「先生の専門は何ですか」と尋ねられる。自分にもわからないので、「わからない」と答える。決める気もない。他人が作った基準で自分の好奇心を区切るつもりはない。興味があることをやっているだけである。呼ぶ側の都合によって、ドイツ文学者とされたり、音楽評論家とされたり、慶応大学教授とされたりする。どうでもよい。もともと人間は、親が勝手につけた名前で呼ばれて生きているわけだし。だからもう長い間名刺を持っていない。かといってSNSでつながるわけでもない。私のお気に入りの空想のひとつは、何かの理由で人類が滅びてしまったあと、ただひとりだけ生き残り、電気やら水道やらがまだ機能している大都市で生活することである。それはなんと甘美な空想だろう。

     この大学でドイツ語を教えていることは確かだが、ドイツ語を教える、ゆえにわれあり、では全然ない。トスカーナ地方に行けばイタリア語をしゃべったほうが喜ばれ、南仏のリゾートに行けばフランス語をしゃべったほうが楽しく、香港のレストランに行けば広東語をしゃべったほうが出てくる料理が増え、サザビーズのオークションに参加しようと思えば英語を読むしかなく、バッハやワーグナーの音楽を聴くためにはドイツ語を知らねばならない、そういうものであり、それだけのことだ。淡々とたくさん勉強したほうがいい。すればいい。

     近頃はむやみと個人と国家を重ね合わせたがる人が多いようだが、私は韓国籍なのに韓国語がほとんどできず、パスポートを更新するために領事館に行くと、「自分の名前くらいハングルで書きなさいよ」と叱られる。故郷があるとしたらそれは東京に違いないし、日本語で文章を書いて、それがありがたくも入試の国語問題などに使われたりもするけれど、かといって日本国籍を取る気持ちは起きないし、ましてやこの国土に殉じるつもりなどさらさらない。福島で原発事故が起きたときは、すぐにヨーロッパに逃げた。

    自宅はくつろげるが、ホテルも好きである。ドイツ人にはフーさんと呼ばれ、フランス人にはユーさんと呼ばれ、中国人にはホイさんと呼ばれるが、それでいっこう構わない。そんなふわふわした状態に無責任な快適さを感じている。

     だからなのか、私の授業に好んで出席した学生は、卒業後、転職率がやけに高い。それはいいとしても、笑ってしまうほど結婚しない率・できない率が高く、たとえ結婚しても恐ろしく離婚率が高い(というより、離婚しないほうがよほど珍しい)。この前は結婚報告よりも離婚報告が早い者がいて、感心した。もちろん子供を持つ率は限りなくゼロに近い。
     と、書いていたら、実は私は反社会的な活動をしているのかもしれないと怖くなってきた。

各言語と授業を知ろう

Features of each language and the language classes